のんべんだらり

そんなことより、おいしいものでもたべにいきましょう。

戦場のガールズ・ライフ(または推しの引退発表によせて)-前編-

オタクなんて結局身勝手で、好き勝手にああだこうだと言ったり言わなかったりして沈んでいくんだよ、みたいな話をします。

自分でも落とし所がよくわからないまま書き出しているので、何が言いたいのか見つからないまま終わると思います。

それでいいんだ〜、自分の中で持て余していることの整理だから。

 

たぶん、主語が大きかったり小さかったり、とても偏って穿った見方だったり、とても読めたものではないだろうなと思いますが、どうにもならないからどうにかするために散らかしていこうと思います。

 

さてさて、先日応援している女の子が2019年3月16日のライブを最後にグループを脱退、芸能活動の一切から引退しますという発表がありまして

 

らみた たらった コメント

いつも応援していただきありがとうございます。
今回発表された通り2019年3月16日をもって私 らみたたらったは校庭カメラガールドライ、校庭カメラギャルを卒業します。
『その時』が来るまでは活動を続けていくつもりでいましたが、予想以上に早く私に『その時』が来てしまったようです。
自分の中でアイドルとして人前で活動している以上、常に綺麗でいることは絶対だと思っていたので『お肌の曲がり角』が見え始めてしまった今これ以上の活動は困難だと判断し、卒業を決めました。
tapestok recordsに入ってから本当にたくさんの素敵な出会いと貴重な経験をさせていただきました。
関わってくれた全ての方に感謝と大好きの気持ちでいっぱいです。
残りの期間もメンバーと共に全力のライブをしていきます。
そして引き続き校庭カメラガールドライ、校庭カメラギャルの応援をよろしくお願いします。

 

ここから読み取れることは主に

・卒業のタイミングは常に考えていた

・例えば年齢で区切るとか

・演者として限界が見えたとか

・でも、とても楽しかったよ

というところだと思うのですが

 

それを受けてのオタク(わたし)の反応がコチラ

 

これは本当にそう思っていて、でも、まだ全然言い足りないのも事実で。

彼女に対してどうこうではなく、あくまでひとりの30代女性として生き方を考えながら今までやってきたつもりなこと、もともと地下アイドルのセカンドライフについて考えていたこと。

そこに推しの引退が被さってきて、どうしてもその辺りについて巡らせることがやめられなくなってしんどくなってしまった。だから書いてる、という感じです。

 

めちゃくちゃ極端な言い方をすると、ある程度の年齢で演者としての活動に区切りをつけることについては本当に賛成なんです。異論はない。

だって、オタクにも人生があるように、演者のみんなにだって人生があるもの。

 

勿論、パフォーマンスしている間はとても幸せなんだろうと思うし、こちらも楽しませてもらっているし、ずっと続けばいいなぁ、って思うけれど、それはそうとして、みんな等しく人生があって、みんな等しく時間は流れていて、そしてみんな等しく変わっていく。変わっていないように見えても変わっていってしまう。変わらないものは「好き」という気持ちだけかもしれないし、場合によってはその気持ちすら形を変えているかもしれない。関わり合いやコミュニティはどうしてもそこから逃げられない。

そこにずっといたい気持ちを持ってコミュニティを守っていくことも大変なカロリーを使うと思うし、それはそれでとても素敵なことだと認識しているけれど、でもやっぱりそれはわがままでとても歪で不自然なことではないか、と思う。

 

ちょっと話が飛ぶけど、わたしはよく「極論地下のオタクはアイドルがいなくても生活が成り立つけど、アイドルはオタクがいないとアイドルになれない、生活も成り立たないかもしれないってことを忘れてほしくない」という至極面倒なことをボヤくのですが(そしてそんなこといちいち言わなくてもみんな分かっている)、そういう長い目で見た生活力というのかな、暮らしを成り立たせるという部分でとても弱い女性たちを日々見ていると本当に心配になる。

 

もちろん、しっかりOLをやりながら二足の草鞋で活動している子もいるし、裕福な家庭の生まれでご家族の理解があるとかでやってる子もいるけど、大半はバイトと掛け持ちとかのようだし、若いうちはそれでいいのかもしれないけど…やっぱりある程度の年齢を超えてきたら、活動がどんなに楽しくても、ファンに求められているものであっても、商業的な結果がついてきていない・目標の背中が見えない限りは区切りをつけてしまっていいんじゃないかな、って思う。

 

どう生きるか、どう暮らすか、なんてそれぞれの自由だから好きにすればいいのだけど、ものすごく身勝手なことを言うと、やっぱりね、ファンとしたら少しでも応援する気持ちを持った子には幸せにしていてほしいし、幸せにしていることって地上だろうと地下だろうと、一度でもアイドルを名乗った人たちの最低限のマナーじゃないかなぁ、って思う。それがファンの知るところにならなくても、幸せに暮らしてることが舞台を降りてもできる最大の恩返しではないのかなって。

 

とかとか思うと、しっかりとした生活基盤を築くというのは必須条件になってくるし、アイドルやめたら結婚してパートしたらいいや〜、とかいうのもライフプランとしてナシではないと思う。…けど、このご時世何が起きても不思議ではないし、例えば旦那の稼ぎが少ないとか、病気で働けなくなったとか、そもそもヒモ体質のバンドマンだとか、色んなアクシデントが考えられるので、やっぱりある程度の収入を得られるようになっておく、というのは彼女たちの多くが苦手とし避けてきたことなのかもしれないけど、向き合わなくちゃいけないことなんじゃないかなぁ…オタクどうこう抜きにして、彼女たちの人生の先々で何か起きたとき、ツケを払うようなことになってほしくないな、って思う。

 

うだつの上がらない青春を送ったオタクたちがアイドルという水を得て2度目の青春を送っているように、また地下アイドルにもうだつの上がらない暮らしや感情・道のりがあって、アイドルを名乗っている間だけは救われているんだろうな、とは思うのですが、やっぱりそれは永遠じゃない。

 

アイドル、特に地下アイドルの現場はお客も演者も世の中の大多数の何かから溢れていて、そういう人たちが持て余した人間らしさを捨てずに済む場所のように捉えているのだけど、悲しいかな大多数のアイドルには賞味期限がついてまわる。まだまだ続けたい、続けてほしい、と願っても20代も半ばを過ぎるとタイムリミットと相談しながらの活動になってしまうのが正直なところなんじゃないだろうか。

 

幸いなことに、当アカウントが愛してやまないPerfumeさんはFuture Popのツアー中に幾度となく"歳を重ねることがこんなにも楽しい"という趣旨のことを話してくれていて、それはとても嬉しいことだし希望であるなぁ、と感じています。

歳相応であることは素敵なことであり肯定されるべきこと、何より今がいちばん輝いていること。(Perfumeさんを見て)大人になるって楽しい、若い子たちが夢を信じて歳を重ねることに対して希望を持ってもらえたら、と話していて。それはそうなんだけど、もちろんそうなんだけど、それを力強く高らかに宣言できるのは、彼女たちは頑なに若さや性を切り売りしてこなかったからではないかな、と思う。

 

アイドルがアイドルであり続けるため、そして続いていくために最も重要なことはその人が"存在"していることを支持してもらえることなのではないかと考えていて、そこを大切にして売り出してもらえた、そして当人達の凄まじいまでの努力や強さ、賢さがあった…などなど、時流だとか運だとかで片付けてはならない導きや意志が端々から滲み出ている。だからこそ、わたしのようなボサッと生きている愚鈍な人間にもストレートに刺さるような言葉を投げかけてくれるのだろう、と思うのですが、そんなの誰にでも出来ることではない。

 

Perfumeさんは現役の女性アイドルで最もアイドルとしての役割を果たしており、また、希望を与えるロールモデル的存在だと信じていますが…それがアイドルの新しいテンプレートに成り得るかと言われたらそれはまた別の話かな…と思う。悲しいけれど、そんなの意識せずに暮らしている人たちがそれを理解するまでにはもっともっと時間がかかってしまうだろうから。

 

なかなかデリケートな話だからコメントしにくかったのもあるんだろうけど、歳を取るのが楽しい!みたいな話をしているのに歓喜していたのはわたしの観測範囲ではやはり30歳前後の女性が多かったように感じていて。

Perfumeさんはライブツアー中のネタバレ禁止令が敷かれているので、もはや呟くのも面倒なのかもしれないけどw、年齢を重ねるってどういうことなんだろう?女性の価値って若さにしかないの?って自分の生き方も含めて真剣に向き合い出す年頃の人たちしかあまり反応してないように見えたんだよなぁ…

 

女性を年齢という重力から解放するための挑戦はまだまだ始まったばかりだと思うので、性急に結果を求めてもしょうがない。でも、やっぱりそういうところから解き放たれたいな、動物としての若さばかりを肯定するのに疲れてしまった。

 

あまりに疲れてしまって、サミュエル・ウルマン氏の名詩、青春ばかり読んでしまった。

最高だからとりあえず読んでほしい。

 

Youth

 

Youth is not a time of life, it is a state of mind.
It is not a matter of rosy cheeks, red lips and supple knees, it is a matter of the will, a quality of the imagination, a vigor of the emotions, it is the freshness of the deep springs of ilfe.Youth means a temperamental predominance of courage over timidity of the appetite, for adventure over the love of ease.

This often exists in man of sixty more than a boy of twenty.
Nobody grows old merely by a number of years . We grow old by deserting our ideals.
Years may wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles soul.

Worry, fear, self-distrust bows the heart and turns the spirit back to dust.
Whether sixty or sixteen, there is in every being's heart the lure of wonder, the unfailing child-like appetite of what's next, and the joy of the game of living. In the center of your heart and my heart there is wireless station, so long as it receives message of beauty, courage and power from men and from the Infinite, so long are you young.

When the aerials are down, and your spirit is covered with snows of cynicism and the ice of pessimism, then you are grown old, even at twenty, but as long as your aerials are up, to catch the waves of optimism, there is hope you may die young at eighty.

 

訳はコチラ!

 

青春 (訳:宇野収・作山宗久)


青春とは人生のある期間ではなく
心の持ち方をいう。
バラの面差し、くれないの唇、しなやかな手足ではなく
たくましい意志、ゆたかな想像力、もえる情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。

青春とは臆病さを退ける勇気
やすきにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
ときには、20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない。
理想を失うとき はじめて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ。
苦悩、恐怖、失望により気力は地にはい精神は芥になる。

60歳であろうと16歳であろうと人の胸には
驚異にひかれる心、おさな児のような未知への探求心
人生への興味の歓喜がある。
君にも我にも見えざる駅逓が心にある。
人から神から美、希望、よろこび、勇気、力の
霊感を受ける限り君は若い。
霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ
悲嘆の氷にとざされるとき
20歳だろうと人は老いる。
頭を高く上げ希望の波をとらえるかぎり
80歳であろうと人は青春の中にいる。

 

青春、は若さと読み替えて良いように感じるし、霊感ってインスピレーションってしちゃった方が今は素直な表現かなー、と思いつつ、さておき、そういうことなんだよなって。

 

老いどうこうというよりも、錆びないように暮らしていくことが大切なのだなと強く感じる昨今ですが、そういう気持ちを持ち続けることはとても難しい。とてもとても難しい。

 

また話が逸れるし、語弊にまみれてしまうと思うのですが、わたしは常々「自分の価値を"若い女である"ということに預けるな、どう足掻いても目減りするものを資産として扱うな、自分の性を切り売りして媚びるな、自らの個性やアイデンティティを外見に求めるな、どんなに小さくてもいいから常に目標を持ち続けて」とボヤいているのですが、というか、改めて文字にしてみたら語気がなかなか強くて驚いているのですが、何でそんなこと言ってるかと言うと、本来の意味で支持されたければそうするしかないと本気で思うから。

見た目がいいのは最低限の条件だけど、見た目だけじゃやっていけない。存在を肯定されたければ人間としての奥行きが絶対に必要になってくる。あと礼儀。

 

特に感覚やセンスを用いて人の気持ちを動かすことによりお金を貰うのであれば、時代を読みながら研鑽に励むことは絶対に必要。それを怠るとカッコ悪さの吹き溜まりみたいになってしまって商売が先細るし、めちゃくちゃ言葉は悪いけどダサい人がダサい人相手にダサいものを見せている、みたいなことになりかねないし。

 

何が言いたいんやろう?分からなくなってきた。

 

とにかく、色んなものと戦いながらそんなことは噯にも出さずやっていくのは本当に本当に本当に本当に本当に大変ですよね、というところで、例えば、らみたたらったさんの偉いところのひとつにステージに私情を持ち込みたがらないところがあるかな、と思っていて。

めちゃくちゃ嫌な言い方をしてしまうと、アイドルという特性上、泣いてしまった方が商売としてラクなところがあるというか、未熟なところを見せてしまった方が話が早くなるというか、まぁ、手っ取り早く感情移入してもらえるよね、みたいなところは大いにあると思っているのですが(柏木由紀さん、松井咲子さん、福岡聖菜さんなど、わたしが応援している女性は舞台上では涙を見せない高潔さを持ち合わせた方がとても多いなと思っています)、彼女はそれを良しとしない人だなぁ、と感じています。

 

コウテカはぷりぷりと可愛らしさや女の子らしさを振りまくグループではない(何ならエッジを立ててヒリヒリした感情をラップしてる人達だ)し、過酷な何かと戦っているわけでもないけど、とはいえ、らみたたらったさんのこれまでの活動を思えば、たとえ客前であっても憚らずに泣きたくなるようなシーンがいくつあっただろう、と思うのですが、悲愴感とかは出さずに気丈とまではいかなくとも自らを奮起させてよく頑張っていたなぁ、という印象がとてもあります。

 

そんなたらちゃんが涙を滲ませた場面で自分の中にこびりついているのが、今年のUNITワンマンでファンからのお花を渡したときに「今まで辛いことにも負けず本当にたくさん頑張ってくれてありがとう、ずっとついてくからね(要約)」ということを伝えたときに彼女の顔がグシャっとなって。そのときは「そりゃ今まで散々辛い思いをしてきたよな、それで今日こんな良いライブが出来たら泣きたくもなるよな」と思っていたのですが、今思えば、その日既に彼女の中では引き際を考え始めていたのかな〜、なんて思っています。分かんないけど。

 

オタクはそのときの感情にのせて無責任に"ずっとついてく"なんて言ってしまうけど、彼女の中では近い将来「その時」が訪れると分かっていたのかな、だからあんな顔をしていたのかな〜、なんて。知らんけど。

 

そうそう、それで引退発表後1発目のライブ。とても観る気にはなれなかったけど、でも、行かないのも何か嫌だなと思って観ることにしたのですが、いやーーー、演者もフロアも熱かった!何より、演者が歌うことの歓びみたいなものを全身に受けてパフォーマンスしているように見えて、それがとてもグッときた。

常々、演者は音源を超えるパフォーマンスを見せるための鍛錬を怠らないでほしい、ちゃんとした技術があって付加要素でエモさが乗ることと、技術がないことを気付かせないためにただ勢いに乗せて押し切ることを履き違えないでほしい、と思っているのですが、その日は完全に前者パターンだったように思う。

 

ライブ中、コウテカのメンバー3名はそれぞれにとても楽しそうにしていたんだけど、ステージから捌けるキワキワに見えたたらちゃんの表情が本当に何とも言えない悔しさを滲ませたもののように見えて驚いた。演者を辞めることへの遣る瀬無い思いなのかとか、フロアの盛り上がりのスパイスに自分の決断が含まれるのが不本意なのか、とか、想像するばかりで真意はわからないけど、でも、彼女はそれを3/16まで全力でねじ伏せていくんだと思う。そうやってここまで歩いてきた人だと思うし、そんな人だからこそステージを降りたあとの人生だって応援してるよ。見えてても見えてなくても関係ないし、ステージに立とうと決めた時になりたかったものとは違うかもしれないけど、その時ではなれなかった自分にはなってるんじゃないかな。そんな風に思います。

 

ところで、いま8,200文字ほど書いてるんですよね…さすがに読む方もしんどいと思いますし、書く方も区切りたくなってきたので前後編にしたいと思います。続きはなる早で…2018年中にケリをつけたかったのですが、2019年に持ち越すことになりそうです。

他のエントリーでも読みながらお待ちいただけますと幸いです。コスメブログかと思いきや、コスメ、アイドル、宝塚など話題に少々偏りがあるだけでわたしが好きなことを好きなように書き散らしているだけの場所です…!

年末年始の暇つぶしにでもなっていれば良いのですが…

 

それじゃまた!

皆さまよいお年を〜〜〜!

 

後編につづく